ここでは裁判を回避したほうがいいと考える理由を述べます。
第三者の立場で実際に裁判の現場を目にしてきた経験から言うと、金銭的な面というのもありますが、
それ以外で感じる裁判のリスクは大きく2点あります。
お金の問題だけなら、「勝てばいい」「相手に払わせればいい」と考えがちです。
でも、現場を見ていると、お金以外のダメージの方がよっぽど深くて長引くことが多いのです。
一度火がついた訴訟はちょっとした覚悟では簡単に引き返せません。
「こんなはずじゃなかった」と思っても、当事者になってしまった以上簡単に降りることもできず、
時間もお金も気力もじわじわ削られていきます。
その中でも特に重いと感じるのが、これから説明する2つのリスクです。
裁判をすることのリスクは?
どんなリスクが想定されるのか
民事裁判を起こすことで、例えば代理人として弁護士に依頼すれば当然そこに弁護士費用がかかるという金銭的リスクが発生しますが、それは一旦置いておきます。
そういった金銭的リスク以外で、実務経験を通して感じた裁判を起こすリスクは大きく次の2つです。
- プライバシーがダダ漏れするリスク
- 不毛な争いで心身ともに疲弊するリスク
裁判でプライバシーがダダ漏れするリスク
裁判の傍聴って誰でもできるんですよね
はい、そうです。誰でも裁判の傍聴をできます。
「自分のプライバシーを聞かれるの嫌だなぁ」と私なんかは(きっとあなたも)思うのですが、裁判の傍聴であれば「裁判内容をどの程度知られてしまうのか」という観点から言えば、意外に大したことありません。
特に民事裁判では、法廷以外の場所で行われる「非公開」の手続のほうが回数としては圧倒的に多く、争いごとの内容に関する実質的なやり取りはその「非公開」の手続きで行われるからです。
公開の法廷で行われ、当該事件と無関係な人でも見ることができる手続きは次のものくらいです。
- 第1回口頭弁論期日
- 証拠調べ期日(証人等の尋問をする)
- 弁論終結のための期日(これが行われたあとは、当事者は自身の主張や証拠の追加提出不可)
- 判決言渡し期日
そしてこれらの手続きでの当事者間のやり取りを見るだけでは、その訴訟の全容を知ることは無理です。
ワクワクドキドキしながら人生初の裁判傍聴を楽しみにやって来た人がいたとしたら申し訳ないですが、全容どころか何一つわからずに終わることでしょう。「テレビで観たのと全然違う!」「何をしてるのか全くわからん!」というがっかりした思い出だけが残り、裁判傍聴に行こうなどとはもう一生考えないはずです。
仮に運良く本人や証人の尋問期日に当たったとしても、手続き全体の中からそこだけ切り取ったものを見聞きしたところで、事件に関係のない人間にはやっぱり何だかよくわからないままで終わります。
※傍聴するなら刑事事件にしましょう
というわけで、裁判の傍聴だけならダダ漏れというほどには訴訟当事者のプライバシーは侵害されないと思います。
訴訟記録を誰でも見れるのは本当ですか
本当です。ダダ洩れリスクの中心はこちらなのです。
訴訟手続では、傍聴だけでなく「事件記録の閲覧」というのも誰でもできることになっているのです。
「事件の当事者」「事件の利害関係人」だけではなく「誰でも」です。これは民事訴訟法第91条に規定があります。
記録の閲覧に当たっては申請書を書いて提出する必要があります。また、事件の内容によっては記録全部あるいは一部が閲覧できないケースもあります。事件関係者以外は記録の謄写(コピー)はできません。
この「訴訟記録を閲覧できる」ということが何を意味しているかというと
『争いごとの内容を
親戚や友人だけでなく
会社の同僚でも
近所のママ友でも
仲の悪い隣人でも
あなたが全く知らない人でも
申請さえすれば
全部知ることができる』
ということなんです。
誰がなんのために赤の他人の訴訟記録を見にくるのですか
何の理由で見に来るのかはわかりません。
ですが実際に「この事件、別に有名人でもなんでもない極々普通の一般の人なのに、この人はなんでこの事件記録を見たいんだろう?」というようなものに閲覧申請してくる人たちが一定数いたのです。一応、申請書には閲覧する理由を書くものの、関係者でない場合は大体「勉強のため」などと記入されていたものが多かったと記憶しています。仮に本当は「勉強のため」でないとしても、理由の審査などはしませんのでそのままスルーです。
閲覧マニア的な人たち(何者かよくわからない)や、法曹になるための勉強のためという人たちなどが一定数存在するようで、そういう人たちがたまたま興味を持っただけかもしれません。これらの人は、その事件の当事者とは直接的にも間接的にも関係はないのだし(多分)、見知った内容を悪用しようという意図もまずない(多分)とは思います。
それでも「自分がこの事件の当事者だったら知らない人にこんなプライバシーを見られてヤダなぁ」と感じませんか。しかし、イヤだと思っても見られてしまうんです。それが実務現場での実態です。「訴訟記録」という個人情報てんこ盛りの書類の束を、赤の他人が見るという行為を止めることはできないんです。
事件記録には、訴え提起から現時点までに当事者双方から提出された訴状を始めとする主張書面や証拠書類等が全て綴られています。そして何らかの事情により閲覧制限がかかっていない限り、丸ごと記録を読まれてしまうんです。
これプライバシー的にはどうなんだろうと、書記官として仕事をしていたときにはずっと疑問でした。でも法律が「いいよ!」と謳ってるからには、何の理由もなしに「私は許可しない!」と抗っても、上司から叱られるか、あるいは下手すると軽く懲戒処分を受けるようなことになって自分が損するだけなので意味ありません。結局は私も普通に閲覧許可を出していました。
もしも、あなたとあまり関係性の良くない他人の噂話が大好きな知人が、あなたの家庭の諍いを知って、訴訟になっていることも知って、何らかの手段で記録の閲覧をできることも知って、そして実際に閲覧をし、その記録を隅から隅まで穴のあくほど読んだとしたら・・・・
もう嫌な予感しかしません。
不毛な争いで疲弊するリスク
個人間の争いは荒れます、結構な確率で
例えば、「会社」対「会社」の訴訟であれば、契約関係等の約束事が書面で残されている場合はほとんどであり、私情を挟んだ生身の人間同士の争いではないケースが大半なので極端な感情論に走ることはあまりなく、粛々と手続が進む傾向にあります。
一方、人間関係の綻びに端を発した「個人」対「個人」の訴訟では、高い確率で不毛なやり取りのオンパレードになりがちです。そして、裁判の期間も長引きがちです。訴訟手続が始まり、第三者の目で準備書面の文面を見ていると段々と内容が荒れてくるのを感じることがたびたびありました。
そもそも民事訴訟は、当事者同士の話し合いで解決できなかったという状況が前提にあるケースが多く、訴えを起こした時点で既にみんな冷静ではないので仕方のないことともいえるのでしょう。
さて、手続きの回数を重ねるにつれ、段々と「言ったもんがち」のような様相を呈してきます。事実か、事実でないか、といったことは関係なく、とにかく自分のほうの主張が裁判所に認められればいいのですから。実際に起きた事象は一つしかないはずなのに、自分の言っていることのほうが真実であるという相容れない主張が双方からされ、お互いに人格攻撃も始まり、些細な欠点を言い募ってはそれぞれが自分の言い分の正当性をアピールし、相手を打ち負かそうとします。特に「離婚」や「相続」といった親族間での争いで当事者全員が感情的になっているようなケースでは顕著です。
自分がこれまでの生活の中でそんな行動をした覚えは微塵もないようなことも、相手方は「こんなことをする酷い奴なんだ」とあることないことを書き立てて攻めてきます。それに反論せず放置しておくと相手の言い分(「こんなことする酷い奴だ」)を認めたことになってしまうので、こっちも言い返さないといけません。
「言った、言わない」
「やった、やらない」
「使った、使ってない」
「とった、とらない(「取」?「盗」)?」
・・・
そんなこんなで「そっちがそうならこっちだって!」といった調子の、あらゆる言辞を総動員して相手を貶め自分を正当化する罵倒大会が延々と続くことになるのです。
どんな展開が予想されるのか
例えばこんなことです。
以下のやり取りはいずれもフィクションです。やり取りの流れは実体験に沿っていますが、具体的状況設定に関しては完全にフィクションです。
- 離婚訴訟での例
- 原告(ここでは妻)
「被告は家のことは何もしてくれず、私の話にも耳を貸さない」
被告(ここでは夫)
「そんなことはない。私が家事をしようとすると原告は『どうせ適当にしかできないんだから余計なことはしないで』と怒鳴るから行動に移せないだけ。原告の話に耳を貸さないのではなく、原告が常に怒ったような口調でしか話さないから会話にならないだけ」
原告
「怒鳴ってはいない。以前にやってもらった時に洗濯物を広げずにシワシワのまま干したり、皿洗いでも油が残ったままで気にしないということが度々あった。ちゃんとやってとお願いしたら『別に死ぬわけじゃないんだからうるさい事言うな。俺の基準はこれでいいんだ』と言って不貞腐れた。だからそれが何度か続いて以来、家事をやってもらうことは諦めた。常に怒ったような口調というが、被告がいつも威嚇するような態度にでるので、それに対抗するため仕方なく口調が強めになるだけ」
被告
「家事をしっかりやれなかったのは最初だけ。原告に文句を言われた次からは丁寧に洗濯物のシワも伸ばして干したし、皿洗いのすすぎも手で触ってきちんと確認した。私は仕事で帰りが遅くなっても、これらの家事をしっかりこなしていた。『俺の基準はこれでいいんだ』などと言ったことはないし、今でも家事をやっている。また、『威嚇するような態度に出ていた』というが、常に不機嫌で怒っている原告にはそのような態度で接するしかなく、もう少し優しい話し方に改めてほしいとお願いしたこともあったが全く受け入れてもらえなかった」
原告
「被告は結婚前から『家事は苦手だからやりたくない』と言っていた。しかし、ともにフルタイムで働いている中で、こちらだけが家事全般を担当するのは不公平だと思ったし、体力的にもキツイと感じていた。家事分担については話をしたことがなかったので一部をお願いしただけなのに云々・・・」
※繰り返しますが「フィクション」です。
- 遺産相続関係訴訟での例
- ※設定として、「遺産を残して亡くなった父親(被相続人)の長男(原告)と次男(被告)」の争い。被相続人は、ずっと同居していた被告に、原告よりも多くの額を渡す旨の遺言を残した。
原告
「被告は正社員としての勤務経験がなく、派遣社員で収入が少なかったため常に父親の金銭的支援を受けて生活していた。実家に同居し父親の世話をしていたというが、実際にはヘルパーはほぼ毎日来て食事などの家事全般をやっていた。そのように父親から多大な援助を受け続けてきた被告のほうが多くの遺産を相続するのは納得できない。むしろ援助を受けてきた分の額を本来の相続額から引かれてもいいはずだ」
被告
「確かに被告は派遣社員だが、きちんとした収入が毎月あり、実家に食費も入れていた。親の食費も全部負担しており、自分が必要な金銭に関して父親に出してもらったことはない。ヘルパーに関しては、自分が日中仕事の間、食事に関することだけお願いしていた。それ以外の掃除・洗濯などの家事は毎日帰宅後に自分が行っていた。原告こそ、父親にいつも無心に来ていた。原告は就職を機に実家を出たが、パチンコに負けたとか小遣いを減らされたとかいろんな口実を設けては一回数千円から数万円の金銭を父親に出させていたではないか。就職直後から毎月のように来ていたことを考えると月に一回2万円としても、30年間で720万円程度の利益を父親から得ていたことになる。父親が原告への相続額を減らしたのはそういった事情があったと思われる」
原告
「被告は、自分が実家の掃除洗濯をしていたというが、私が実家に行くと家の中はいつも足の踏み場もないほど散らかっていた。洗濯もあまりされていなかったようで、1年ほど前に父親から異臭がしたので聞くと『最近洗濯をしてもらえないので下着をしばらく替えていない』と言っていた。親の世話どころか高齢者虐待だ。また私が父親に毎月無心をしていたというが、被告がその場にいたことは稀で、被告の勝手な妄想である。私は父親の愚痴を聞いてやっていただけであり無心はしていない。パチンコは趣味で時々やるが小遣いの範囲以上でやることはない。被告こそよくわからないフィギュアを実家の一室をすべて埋め尽くすほど買い込み、これこそ無駄遣いではないか。派遣社員としての被告の収入だけではあれだけの買い物はできるはずはなく、父親に金銭的支出をさせていたに違いない。」
被告
「足の踏み場がないというのは原告の主観であって、そんな状況になるほど実家の掃除を怠ったことはない。そもそも、実家を出て親との同居を拒んだ原告にそんなことを言われたくない。散らかっていると思ったのなら自分で片づければよかったのであって、それをしないことこそ高齢者虐待ではないのか。また、1年ほど前に父親から異臭がしたとのことだがその頃には父親は認知症の症状が重くなっておりリハビリパンツ着用だった。さらに、当時の父親は発言自体は普通にできていたものの自分が話したい決まったことしか話さなくなっており、周りからの問いかけに対する的確な回答はできなかった。なので『洗濯をしてもらっていない』旨父親が言ったというのは原告の嘘であり、父親の認知症が重くなっていることに気付いていなかったのは親に対する関心がなかった証拠である。父親の愚痴を聞いていたというが、どんな愚痴を言っていたのか教えてほしいものである。父親は元気なころよく『長男は昔から冷たいところがあって、私や母さんにもきつく当たる時が多かった』と話していたし、私自身も子供の頃からそれは感じていた。原告は原告の妻にもDV的な行動をすることがあるようで、原告の妻がこちらに逃げ込んできたことも云々・・」
※繰り返しますが「フィクション」です。
このような調子でいつまでたっても平行線のまま、妥協の糸口は見つかりません。
上記のケース、あなたはどちらが「真実」を言っていると思いますか?
長期戦で日常生活が削られる
昔よりはかなりマシになっているものの、裁判は「すぐに白黒つく」ようなスピード感では進みません。
一回の期日ごとに次の期日まで1~2カ月空くことも珍しくありません。証拠を集めたり、代理人(弁護士)と打ち合わせしたりする時間も必要になります。結果として、事件の内容によっては年単位で争いが長期化することもあります。
当事者となったら、その間
「相手への怒り」
「不安」
「裁判結果がどうなるのかという恐怖」
といった感情を抱え続けることになります。
さらに、裁判の書類を作るには、過去の出来事を詳細に思い出し時系列を整理し、自分がどれだけ傷ついたかを何度も言葉にしなければなりません。だたでさえ辛い出来事なのに、傷口に塩をすり込むような状態が繰り返されるのです。
心の傷は一刻も早く癒したいと思うはずですが、心身の疲弊は増すばかりです。
勝っても負けてもスッキリしない現実
さらに厄介なのは、そこまでして戦ったとしても判決が出た瞬間にすべてがスッキリ解決するかといえば必ずしもそうではない、ということです。
・完全勝利という形になることは実は少ない
・一部認められ、一部は認められない(棄却)という判断もある
・お金での部分での判断は出ても、感情的な割り切りは消えない
・最終手段としての手続き(強制執行)が失敗に終わる
こういったケースが結構あるのが実情です。
「こっちは一生かけるつもりで戦ってきたのにこの程度の金額?」「判決では勝ちってことになってるけど、心のモヤモヤは全然晴れない・・」
極端な話、判決の中でどれだけ「あなたの言い分が正しい」と書かれたとしても、日常生活の中で抱えている孤独や不安が突然なくなるわけではありません。むしろ、長い訴訟の過程で人間関係が壊れてしまったり、仕事や健康に支障が出てしまったりして、完全に元の生活に戻ることが難しくなる可能性も高いのです。
まとめ
このような泥仕合になる可能性を考えた場合、あなたなら耐えられるでしょうか?
もちろん案件の内容によりますので、全ての民事訴訟がこのような経過を辿るわけではありません。でも可能性はあります。
私が実際に担当していた遺産相続事件でのことです。
私が前任者から引き継いだ時点で、訴訟係属から既に2年経過している事件でした。記録に目を通した時、この事件の当時者である兄弟たちが、生きている間に一緒にお酒を飲んで笑いあったり、一緒に旅行に行って思い出を作ったりすることはもう絶対にないだろうと思いました。第三者として書類上のやり取りを見るだけでもそう感じるくらい、双方が激しく攻撃しあっていたからです。
双方の言い分がほぼ出揃った頃、裁判官から「一度、和解の期日を入れましょうか」と双方代理人に打診があり、和解期日が開かれました。弁護士に委任している場合、原告や被告自身が裁判期日に同行することは本人尋問等の期日を除きほぼありません。しかし、和解期日では代理人のほかに当事者自身も一緒にやってくることが多く、そこで話し合いが成立すれば和解として事件を終わらせることもあります。
その和解期日には双方の代理人と一方の当事者しか来ませんでした。出頭していたその当事者は席上、こんな話をしたのです。
『私たち兄弟は元々は仲が良かった。なのにお金が絡んで裁判になったら何の心当たりもないようなことまで兄貴からいろいろ言われて、言い返さないといけないと弁護士さんが言うからこっちもいろいろ言い返して、気づいたらこんな泥沼になってしまった。優しかった兄貴とか、その兄貴を慕っていた自分とか、そんな二人はもういないと思って関係修復は諦めている。家族とか親戚とかいろんな人たちを巻き込んでここまで来てしまったので自分の判断だけで今更裁判やめるとは言えないが、もうどんな結果でもいいから早く終わってほしい』
こういう趣旨の話をして人目も憚らず号泣していました。
残念なことにこの事件は判決後に相手方が控訴してしまい、さらに続くこととなってしまいました。
「親が遺産を残さなかったら」あるいは「話し合いで終わらせることができていたら」、この兄弟は今も仲が良かったのかもしれません。号泣する様子が哀れすぎて、強く印象に残った事件でした。
裁判で結果が示されることによって解決することが世の中にたくさんあるのは確かです。ただ、裁判に持ち込むその前にどこまでなら妥協できるのかということを考え、できれば裁判以外の方法(話し合い・調停・第三者の関与など)を模索するほうがいいケースも多いのではないかと感じてきたのです。
プライバシーを晒してもいいのか、家族や財産や思い出すらも失う可能性があるがそれでもいいのか。裁判なんかををする前に、自分にとって本当に大事なものは何かを今一度考えてみてもいいのではないでしょうか。